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映画『海難1890』あらすじとレビュー

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日本とトルコの友好125周年を記念して、両国の合作で製作された映画「海難1890」の試写会に行ってきました。 トルコは世界でも1,2を争う親日国なのですが、その理由のひとつが元となった映画です。

海難1890のポスター

冒頭、オスマン帝国海軍の軍艦が、トルコ軍行進曲の勇壮な調べに乗ってボスボラス海峡を進んでいく場面。

この行進曲が聞こえてきただけでヨーロッパ中が震え上がったと言われるトルコ軍行進曲「ウスクダラ」。

19世紀末、かつて世界を震え上がらせ権勢を誇ったオスマン帝国も近代化の波に取り残され、もうじき消えゆく運命にあったのだけど、そんな長い歴史の最後を飾る一瞬のきらめきだったのかもしれません。

よく晴れた青空のもと、白い帆を広げて波を蹴って進む軍艦。高らかに響く行進曲。勇ましく美しいだけに、その先の運命を思うとちょっと切なくなりました。

「海難1890」のあらすじ

「エルトゥールル号海難事故」と「テヘランでの日本人救出」、二つのエピソードで構成された映画です。

1890年9月、和歌山県樫野崎(現・串本町)の沖合で起きた、「エルトゥールル号」海難事故

オスマン帝国の親善訪日使節団を乗せた軍艦・エルトゥールル号がイスタンブールへ戻る途中、台風で座礁・大破。その時村人たちは自らの危険を顧みず、台風の高波の中に飛び込んで乗組員を救助し、献身的な救援活動を行ったのです。

その95年後の1985年、イラン・イラク戦争が勃発し、サダム・フセインはイラン上空を飛行する航空機に対して無差別攻撃の開始を宣言。

各国が救援機を飛ばして自国民を脱出させる中、日本政府は危機的状況を理由に在イラン日本人の救出を断念。テヘランに残された邦人、215名。

トルコ航空パイロットは全員が志願した

そこへ救助の手を差し伸べてくれたのがトルコでした。無差別攻撃が始まるタイムリミットが刻々と迫る中、政府からの要請を受けたトルコ航空は、救援のパイロットを募ったところ、追撃される可能性が高いにもかかわらず、その場にいたパイロット全員が手を上げたのです。

トルコ航空かっこいい!と思うと同時にウルウルしてしまった場面です。

戦火の中日本人救援に向かうトルコ航空乗組員

こうしてトルコ航空機2機がテヘラン空港へと向かいました。

この時最後の救援機ということで空港には大勢のトルコ人も詰めかけていたのですが、彼らは自国からの救援機を日本人に譲って、自分たちは陸路でトルコに向かったのです。

私の感想 本当の真心に触れる

正直言って、ストーリーも、文部省推薦みたいなちょっと鼻につくところが多いし、登場人物の描かれ方もやや平板なこともあって、感情移入がしづらい場面もありましたが、人の真心がクローズアップされた場面では、涙を誘われてしまいました。

海難1890-1

和歌山県の大島の人々の真心

120年前の日本の田舎はまだまだ貧しかった。村人一丸となった献身的な救援活動。

身の危険を顧みず、台風の高波の中に飛び込み溺れる人々を引き上げた村人たち、自分たちも食べるものがないのにもかかわらず、そのわずかな蓄えを彼らに分け与え、彼らの治療や回復に努めました。またその村の村長は亡くなった人全員の棺桶をなんとか用意しようと骨身を削るのでした。

残された遺族が血のついた遺留品やボロボロになった衣服を受け取ったらどう思うだろう。大事な人を失ってただでさえ悲しいのに、もうそれ以上つらい思いはできればしてほしくないからと、遺留品をきれいに洗い、磨き、繕う村の女性たち。

遺留品の中には金目になるものもたくさんあったけど、一切手をつけずに返したそうです。貧しくても誇りある人々。

こうした村人たちの真心はトルコの人たちにに感銘を与え、トルコでは教科書にも載っていて、誰もが「エルトゥールル号」海難事故を忘れていないということです。

トルコの人たちの真心ー戦火の中なぜ彼らは日本人を救いに来たのか?

戦火が迫る中、トルコ航空機を飛ばし日本人を救ったトルコ。なぜトルコが?とこの時日本の誰もが思ったはずだけど、駐日トルコ大使はその理由を「エルトゥールル号の借りを返しただけです」と短くコメントしました。

テヘラン空港で最後の救援機を待つ邦人たちの不安な様子

この映画の中心テーマは、120年前には日本がトルコを助け、その95年後今度はトルコが日本を助けるという真心の交流なのですが、私が最も驚き感動したのはその先。

トルコ政府が日本を助けたのは、日本のトルコへの経済協力強化が第一の目的だったのだろうけど、自国民より日本人を優先したトルコ政府に対して、トルコ国民は政府を非難しなかったという事実です。

テヘランから陸路で帰国の途に向かったトルコ人も、トルコの与党もマスコミも、そして一般のトルコ人も、だれもこの件で政府を非難しなかったのです。映画のなかでトルコのオザル首相はこの報告を受け、「私はそういうトルコ人を誇りに思う」と言ったことに共感します。

もし私がトルコ人だったら、トルコ人であることをとても誇りに思ったでしょう。

両国民の真心が本当に美しく、ヒシヒシと胸に迫って幾度も涙を流してしまいました。そして最後はとても優しい気持ちにさせてくれた映画です。

ユナイテッド・シネマで「海難1890」をみる

なぜ日航機は来なかったのか?JALマイラーの私がその真相に迫る

JALは帰路の安全が保証できないからとの理由で救援機を飛ばさず、「自国民を見捨てた日航」といわれ非難が集まりましたが、実際はどうだったのでしょう。飛行機が大好きでJALマイラーの私は、決してJALを擁護するわけではないけど、本当のところが知りたくてちょっと調べてみました。

イラン・イラク戦争の最中、イラクのフセイン大統領が、「48時間経過後にイラン領空を飛ぶ飛行機は、民間機といえども撃墜すると」突然に宣言したのは、1985年3月17日。タイムリミットは1985年3月19日の20時、日本時間では20日午前2時です。

外務省は当初、15日の時点で、日航にチャーター機派遣検討の要請をしていました。これを受けて日航は、運行計画を固め、乗員の指名などの準備に入ります。

日本からテヘランまで半日はかかります。テヘラン空港での搭乗と燃料補給にも時間が必要で、それらを考慮し、19日午前1時45分までに成田を出発するスケジュールを設定、18日夕方を外務省の正式要請のリミットとしていたとのこと。

ところが外務省の判断がもたつき、日航の設定したリミットまでに正式要請を出すことができず、そのため派遣は流れてしまったのだとか。

つまり救援機を派遣できなかったのは、日航が要請を拒否したのではなく、外務省の判断がもたついたためだったというのが真相のようです。

政府の危機管理能力のなさ、情報収集/分析力の欠如、そして何よりも自国民を守るという気概が欠如していたのです。

日航はギリギリまで粘ったのだと思う。日航が設定した正式要請のリミットを過ぎての政府からの要請だったため、不測の事態が生じてテヘラン出発が遅れた場合、乗員乗客に危険が及ぶ可能性が高まったため、救援機派遣を断念したのだと思う。「同胞を見殺しにした」とか「自国民を見捨てた」とか、そういう次元の話ではなく、刻々と状況が変わる現地情勢と政府からの要請のタイミングでは、飛び立つことが不可能だったのだと思う。二次遭難を起こしてはならないというのは救援活動の鉄則です。

日本政府の不甲斐なさとは対照的に、戦火の中飛んできたトルコ人の勇気に感動を禁じえません。

またいつかトルコの人たちに会いに行きたい。

そしてその時は必ずターキッシュエアラインに乗って行こう!

■監督:田中光敏
■脚本:小松江里子
■出演:内野聖陽 ケナン・エジェ 忽那汐里 アリジャン・ユジェソイ 夏川結衣 永島敏行 竹中直人 笹野高史 小澤征悦 小林綾子
■12月5日(土)~全国ロードショー
■コピーライト ⓒ2015 Ertugrul Film Partners

「海難1890」12/5(土) ユナイテッド・シネマ豊洲で公開!

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